なんかアレ食べたい

食欲って常に唐突だけど、「なんかアレ食べたい」はより唐突に感じる。
空腹より出現頻度が低いことと取り返しがつかなくなってから感じるせいだと思う。

しかもこの「なんかアレ食べたい」、食べ物買ってから感じる気がする。
もしくはそのときの無念さが印象深すぎる。

今日は久々にあったんだけど、「アレ」はクリームパンだった。

クリームパン、さほど好きでも嫌いでもない。
カスタードクリームじたいがそもそも私の中で「まあ、おいしいよね」くらいの立ち位置で、
普段、「お、食べたいかもな〜食べとくか…」みたいな気持ちがわかない。
なのでここのこのクリームパンがおいしくて…とかいうのもない。
食べるクリームパンといえばせいぜい120円くらいのどこのとも決まってないコンビニで買えるやつ。

だというのにクリームパンが無性に食べたくなることが年に三回ぐらいあるんだな!

あのざらざらした卵っぽさをちょっと感じるクリーム。へにゃっとしたパン。
…というのが、いったいどこのどのクリームパンかも覚えちゃいないのに。

こういうときに食べるクリームパンは、
常時好きな食べ物を食べるときのような「これこれこれこれ〜!」という脳天にびしびし届くようなおいしさ…とは違う。
口にした瞬間ちょっと気分がはねるような喜びと、なんだかほっとするのだ。

今日のその、「あ! クリームパン食べたい」というのはおにぎりを買った直後にきた。
当然のように満腹だった。今食べようとしたところで食べられはしない。
これまでの経験から言って、あのとき食べたかったんだよな…と手にとったときにはもう自分にとってぱっとしない味なので、
結局クリームパンそのものを好きにはならないんだよなあ。

あー、食べたいときに食べるクリームパンのあの体験、いいタイミングで来ないもんかなー。

ムーミンバレーパーク

ムーミンパレーパークに行きたい。

テーマパークに興味ある人と過ごすといつも囁き合うかのようにそんな話題が出ていた。
SNSで呟くと「良いとこだよ」「これくらいの時間でも遊べるよ」など数多楽しんでいる人からの情報が寄せられる。
い、いきたい! ムーミンパレーバークに行きたい!
誘い合わせても行きたいけどなんか突発的に行けそうだ⋯行くしかない!!

行ってみたら思ったよりめちゃくちゃ近かった。
まあ行ってみたい場所というものは行ってみるまでが一番長いもの、 一度行ってさえみれば腰が重くなることなく行きやすくなるもの。  

途中からかなりメモ書きですが…! もうこのまま出しちゃいます!
(ずーっと下書きにあった)

アクセス

東京駅から移動すると考えて、まず池袋に出ます。
西武線で飯能まで出て、そこからはパス。
(線東飯能からもバスはあるんですが本数の多さから西武線のほうが楽ちんかなと)

この飯能まで出る、これが一番の大きな壁だと思うんですよ。
土休日でなんとなーく時剣表を眺めると、おおむね、
・有料特急(特急料金500円)で38分(一時間1〜2本)
・急行で51分(一時間2〜3本)
・準急で58分(一時間2木)
くらいあるのでいつ池袋についても一時間もあれば飯能につけるんじゃないでしょうか。

私も時刻表全く見ずに出てきたんですが、ちょうど有料特急が出るところだったので滑り込みました。
全席指定のため、すいていたからできたことではあるんですが。

この有料特急がね⋯良かった。
黄色を主体としたカラーリング、そもそも色が好みというのもありますが、特筆すべきは窓の大きさでしょう。
で⋯っかい! 景色がすっごい!
頭のてっぺんから座っている足先まである体感なので、目に景色が飛び込んでくるし楽しい。
テーブルも二種ついていてこまごまとできるし。
トイレもあるし。
ただし新幹線のように自動販売機は内部にないため、飲食は準備しておく必要があります。

バス停からパークまで

まず駐車場にある自動販売機が駅前にあるようなものと変わりない値段設定でびっくりした。 良心的すぎでは?

駐車場からはそこそこ急な下り坂がまずどーん! とあります。

元から湖沿いに作られている施設に、追加ドッキングしたような形でムーミンバレーパークはあります。
そのため、パーク自体は奥まったところにありますが、そこまでの道のりも散歩コースとして気持ちが良く歩けるし、レストランもカフェも土産物屋も体験施設もあるぞ。
雨のときは…雨を楽しもう。

メッツァ

湖畔とそれを囲むような字型の道々が敷地となります。
ムーミンパレーパークはこのメッツァの一部有料エリア扱い。

ムーミンバレーパーク

施設

入ってすぐにレストランと土産物屋、総合案内所があり、
トリビアクエスト(クイズラリー)はこの場所でのみ受付。
外の施設(本館、屋外ステージ、アトラクション、土産物屋)はまっすぐ歩いた突き当りのあたりにあり、すべて近い場所にある。
子どもを主体としたアスレチックのエリアが別途ある。ここのみ湖から少し離れる(湖に平行するが、坂道を上がる)。
また、離れた場所に別料金のジップロープのアトラクションがある(訪れたときは新型コロナのため運休)。

レットゥララウンジ・はじまりの店

入園してすぐのレストランと土産物屋には立ち寄ってないのでわからない。

一度奥へ行ってしまうとここまで戻ってくることは少しおっくうになるので、 トリビアクエスト(クイズラリー)をやるなら最初から決めて購入しておいたほうがよさそう。

KOKEMUS

このパークの施設において本館だなって感じ。
展示場のほか、大きな土産物屋、レストラン、図書室がある。

展示場には常設のほか、企画展示もある。
常設展示は作者の背景や文化の紹介のほかに、体感展示をうたう「没入型」を意識した展示が多い。
空間が凝っており、ウォークスルー型のアトラクションと感じられた(絵本の中に飛び込んだような心地になる)。
また、いわゆる映え写真を撮ることを意識した展示物も随所にある。

企画展示は、私が見たときは一つの軸を作り、その軸に関係する物語の該当箇所を抽出して展示する形だった。
列挙されているものをさっと眺めるだけでも面白かった。

展示はかなりナメてかかっていたのでずっとすごい!すごい!と言っていた。

ムーミン谷の食堂(KOKEMUS内レストラン)

私が行った時のラインナップはごはん系パンケーキ、お菓子系パンケーキ、野菜中心… というような取り揃えで「北欧」というワードから人々が期待するようなメニューをうまく押さえているのではと思った。

ムーミンのおうちのケースに入った子ども用メニューがほぼ大人のメニューと変わりない値段で、
内容はスープ、おかず一品、サラダ、パン。
ケース付きでこれとなると、安く感じた。
子ども向けメニューに年齢制限はなく、大人でも頼むことができる。
小食な方や、ケースが欲しいであろう方が頼んでいる姿を見た。
ただしすでに容器に詰めたものをケースに入れて並べてあり、それを各自取っていく形なので、大人のメニューに比べると中身はかなり冷めていた。

現在(2023.03)はHP見る限りメニューは変更されており、子ども向けもお土産になるプレート付きメニューとなっているみたい。

ライブラリーカフェ(KOKEMUS内2階)

時間がいっぱいいっぱいで行けなかった。

ムーミン谷の売店(KOKEMUS内1階)

本館内にある、たぶんメインの土産物屋さん。
なんかやたらセールになっていてハラハラドキドキした。
そういえばムーミンカフェとショップは日本撤退だそうですね。悲しい。

KOKEMUS内体験施設

ムーミン谷の売店(土産物屋)の奥で有料の手作りワークショップをしている。
期間によって開催内容は違う。

ぬいぐるみの綿入れプログラムがあったので参加してみた。
どのあたりから詰めて、どのあたりをみっちりと、どのあたりをふんわり入れると形よくなるか教わりながら詰めていく。
配布物の綿を何割ぐらい入れたらどの程度の柔らかさ・硬さになるか、 見本を触ったうえで自分で渡された綿のなかで自由に入れる量を決められる。
参加者は小学生くらいから大人まで様々だった。

けっこう時間はかつかつだった。

テイクアウトフード

スタンド式の軽食売り場。 利用していない。

リトルミイの店・郵便

土産物屋。
いずれも狭いつくりのため、大人数が押しかけられる感じではない。

スタンプとはがきに特化した土産物屋「郵便」は雰囲気も良く見ていて楽しかった。

エンマの劇場

屋外ステージ。

列形成後、少人数をエリアに入れて、場所を決め次第次の人がまたエリアに入れてもらえる…というような形式だった。
もしかしたらひとグループずつだったかも。

新型コロナのため短いステージだった…のだと思う。
最初にMCの方が案内と土産物屋の商品紹介を行い、ムーミンが合流し、姿を現さないスナフキンをみんなで呼び、ステージが開始するとよりたくさんのキャラクターが出てくる。
ステージではキャラクターの紹介と音楽に合わせたダンスをする。客の参加あり。
登場キャラクターは回によって変化あり。
ムーミンと何人かは固定なのだと思う(ムーミンだけだろうか)。

「だけ」といえば「だけ」だが、ステージにひろがったキャラクターがめいっぱいキャラクターを表現しており、音楽もダンスも楽しく、時間的にできなかったのだが、同じプログラムでもぜひもう一度見たいと思った。  

アトラクション

ムーミン屋敷

ムーミンの家を探検できる。

地下のみ待ち列として使用し、それ以降のエリアは一定の人数がきたらグループで案内して、階ごとに一定の時間を設けている。
どこを見るかは自由。

コロナ禍だからなのかもしれないけど、階段があまりに狭いために元からそういう運用なのかも。
「最も待ち時間が生まれやすいから、今のうちにどうぞ」と案内されたのだが、そうなるだろうなと納得。 

作りこまれたおうちは見ていて楽しい。

リトルミイのプレイスポット

ミイがどうやってムーミン家にやってきたのかを紹介する。
基本的に映像を見る。

最初に客の中からランダムに三名ほど写真が抽出され(スターツアーズみたいな感じ)、物語の箇所箇所に登場し、ちょっとしたちぐはぐさなどに笑いを誘ったり、ほっこりしたりするようにできている。
選ばれるのはたぶん大人が多いんじゃないかなと思った。

海のオーケストラ号

こちらも基本的に映像を見る。
ムーミンパパの若かりし頃の冒険譚をムーミンたちが聞くという始まり方をする。

映像はメインスクリーンのほかに床にも照射される。
また、座席の上部壁にも窓っぽくなった映像がある。
四角形の小さな体育館みたいな場所で、メインスクリーンに対し垂直に階段状の座席が並ぶ。
両側平行。 上部に冒険に使用した飛行機がつるされており、物語に合わせて床に近づいたりする。

けっこう没入感が高く、面白かった。

ヘムレンさんの遊園地

アスレチック施設。
身長と体重に制限のあるものあり。

ほぼ見ただけ。

トイレが設置されているが、3つ程度のような記憶。
さほど大きくないので、人でいっぱいだとちょっと焦りそうだなと感じた。

飛行おにのジップラインアドベンチャー

新型コロナのため休止。

道なりにムーミンの物語に出てきたワンシーンを様々な形で再現しており、楽しい気持ちにさせてくれる。

ベンチがぽつぽつと置いてあり、日和が良ければ座ってのんびりしたくなった。

全体

全体的に満足度が高い。

さらっとしか書けなかったが、道なりにあるちょっとした作品に沿った展示物が楽しい。
ベンチもあり、のんびりしたくなる場所だった。
ただ、そのような施設なのでフルで楽しいのは気候の良い短い間なのだろうなと感じた。

手帳の話・3

こんなにアツく超整理手帳について語っていたのに、今年は途中から浮気をしてしまっていた。

そうなるかな〜〜〜〜〜〜という予感はひしひししていた…
なぜならこの道はすでに通った道。
 超整理手帳にハマる
  →その長さ大きさに持ち運びにくさを感じる
    →コンパクトさを求めてブロックタイプにする
      →合わなくてスケジュール管理を放棄する
というこのルート、歩むのはおそらく三回目。
もしかしたら四回目の可能性もある。四回目かも。

 

今回の浮気先はQUO VADIS
学生時代からなんとなく心惹かれて使ってみたいと何度となく思っていたものの、
レイアウト的に自分が使いそうにもないと自重していた憧れの手帳。
夏頃の手帳のセールで試してみるか…と誘惑に流されて手に入れた。
しかも二種類。
ブロックタイプの薄いマンスリー手帳(Visoplan)と
バーチカルタイプの正方形に近いウィークリー手帳(Executive)。

半年以上使ってみて、とりあえず来年も使ってみようとなっている。

 

ブロックタイプが苦手ということは常々よくこぼしていることなのだけど、
QUO VADISのは割といける…いけてるぞ!

何が違うかというと、「週の途中でページをまたがない」こと。

左右開きのものだと、一週間の途中でページをまたぐため、
枠が区切られてノドに余白を残すようにされていることが多い。
QUO VADISは上下開きなので、ページをまたぐことがなく、
よって一日と一日の枠の間に余白を持つこともない。
これがなんか…よかった!
なぜとかはない。なんか頭に入りやすかった。
あの余白がすごく苦手の一要因なのだとわかった。

 

正方形に近いバーチカルタイプのウィークリー手帳は、
ただ昔から持ってみたかった手帳だったからというものなのだけど、存外よく使えている。

バーチカルのほうはバーチカルとして使えた試しがないので、もうただのノートの罫線として扱っている。
一日の中で忘れてはいけない予定をまず書き出し、後ろに思いついたその日のTodoなんかをメモをリストにしている。

一週間ごとのノート部分には一日ずつ一行二行の日記を書くようにしている。
内容は「どこへいった」とかいうよりも(それはバーチカルの部分に書くようにしているので)
自分の気分がどうだったか、何が気がかりだったかなどをメモっている。

今見返すとそれなりに飾り立てて書いてる面もあるものの、気分の乱気流を振り返って眺められる。

 

というわけで来年も浮気のままいってしまいそう。
超整理手帳まだいてくれとねがったばかりだというのになあ…

THE FIRST SLAM DUNKほか7作

短く感想をメモっておきます。

THE FIRST SLAM DUNK

宮城リョータは兄を追うようにバスケにのめりこみ、沖縄から神奈川に移ったあともなお打ち込み、とうとう高校バスケ界で有名な山王高校にインターハイで挑むことになった。

はー面白かった、母親の息苦しさと家の空気の仕上がりすごかったな…試合めちゃくちゃおもしろかったな……花道はジャンプ漫画の主人公だったな……。
再構成の結果、漫画で存分に描かれた三井のエピソードが大きく省かれ、しかし宮城に影響があるので結構な分量があり、宮城にとってどういう意味が…はよく伝わる代わりに三井自身はよくわからない男に仕上がっているところには爆笑しました。ランニングする監督を見つめるシーンは特に、その後の展開の説明のために入れたシーンなんだと思うんだけど、宮城の視点から急にはがれるから変なシーンだったよ。

アイカツ! 10th STORY 未来へのSTARWAY

星宮いちご世代の卒業と卒業後の歩み。

ゴールテープだった。ボーナスって感じ。映画でここは描こうって選ばれるメンツはここになるんだな〜と思いながら見ていた。

SHE SAID/その名を暴け

トランプによる性加害についての記事を書いたミーガンは、ワインスタインについての性加害について記事にしようとしているジョディと組むことになる。

もっと記者二人にべったり寄った話かと思ってたんだけど、探偵モノみたいな映画だった。

金の国 水の国

昔から仲が悪い隣り合う2国は互いに困窮していた。昔のしきたりの和平のあかしに互いに人を贈るという話に巻き込まれた金の国王女サーラと水の国図書館長の息子で技術者ナランバヤルの二人は交流していくうちに国交を開くべく動くこととなる。

必要なエピソードをまとめて繋いだら味気がなくなったみたいな映画だった。

イニシェリン島の精霊

本国から内戦が続く音が聞こえる離島では変わりない日常があった。ある日いつもどおりに友人をパブに誘ったところ、拒絶され、絶縁を言い渡される。

変な映画だった。会話を成立させるすべての二人間のすべてのやりとりにおいて各人の志向が噛み合わない。感情だけがぶちまけられ、重ね合わされることもある。どうすんだこれって思ってたらちゃんと着地して、あれえ…へええ…となった。

グッドバイ、バッドマガジンズ

詩織は志望していた雑誌編集部に就職するが、所属は男性向け成人雑誌だった。売上が厳しくなっていくなか、編集部はそれでも発刊を続けていくが。

こっちはもっとドキュメンタリというか、SHE SAIDみたいな感じかと思ってたんだよな。こっちのほうが主人公にカメラがべったりついていたし主人公に基づいてお話が作られていた。もう序盤も序盤で主人公と先輩の間の空気感をねっとり撮ってたんだからラストアレは来なきゃ嘘だろ! ぱさついた現実に対して、それでも抱いた「なんでだ?」があって…という作り、なるほどなあ…となった。

アラビアン・ナイト 三千年の願い

物語(ナラトジー)の専門家アリシアは、講演で訪れたイスタンブールで手に入れた瓶から現れた魔人と出会う。「3つの願いを」という魔人に対し、アリシアは「願いはないし、願っても最後は教訓で終わる」と諭すが。

変な映画だった。wishとdesireとlongingの話をたぶんしていた。もっと互いに「こういう話があるじゃん」ってしあうのかと思ったら、ひたすら魔人が語っていた。互いに…というのなら、入れ子になっていると見ればそうも言えるかなっていう。「うみねこのなく頃に」のあじわいもあるかな〜と思ったらそこはがっつり味わえました。彼女に寄り添ったものがなんだったのか、物語っていけるようになったのよ。

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

エヴリンはアメリカでコインランドリーを経営する中国移民。ゲイの娘、頼りにならない夫、都合よく頼ってくる父親、生活をまわすのに精一杯のエヴリンだが、国税局での指導を受けている際にマルチバースの戦いに巻き込まれる。

ハマらなかった。退屈だった。その話するのにそれやらなきゃだめ?いやサービスだよな…こういう話するのにこういう味付けで見てみるのどう?!だよな…私が野暮だな…。

書いたものに向き合ってみる

なんやかやと文章をネットに流してきたものの、うまいぐあいに忘れてこれているものだからさほど昔書いたものに苦しめられていないでいる。
けど、学生時代の何かの課題で書いた文章は三年に一度ぐらい思い出してなんであんな文章を提出したんだ、ゔんんんー!って頭を抱えてしまう作が一つある。

もう手元にはない(あったとしても絶対に読み返さない)できあがりの記憶からたどるに、「好きな食べ物の好きな食べ方」みたいなお題で、600字程度という指定だったように思う。
当時、選んだ題材は梅干し。小さい頃から大好きで、まず梅干しの皮だけめくって食べ、それから実を少しずつ指にとって食べ、そのあと種をあめだまのようにしゃぶって、最後には割って種の中の実まで食べていた。
そのただでさえ汚らしい食べ方を、ねちねちと描写した。と思う。

今ならそもそも違う食べ物を選ぶ。
お茶漬けとか良さそう。

夜、あとは寝るだけ、もうベッドに潜り込む、そこで急激に空腹を感じるときのひもじさは凄まじい。
眠気もあるのだからと一度体を横たえてももはや痛烈な寂しさにも似た空腹がいっそう主張してくるみたいで、胃がよだれを垂らしているようだし、涙だとさえ感じる。
そういうときに限って舌はラーメンとか欲している。
食べたあとに残る、やってしまったという気持ち、胃もたれみたいな重みがあるあれ、あれはごめんだ。
食べる、食べる、食べますよ。
でもつまんだくらいの冷やご飯に、かつおぶし、だしの素、うめぼしを一緒のお椀に入れて、沸きたてのお湯でお茶を出す、一気にそそぐ。多めに注いで、ひとくち、ふたくち、あったかさに息をついてから、スプーンで冷やごはんと梅干しをほぐす。
またすする。先程より塩味が増えていて、胃がきゅうっとなる。そこへかつおぶしとご飯をよく噛んで飲み込む。こめかみのあたりからなんとも言えない安堵感があふれる。
またすすっては噛み、すすっては噛む。
少なくなってきたら下の方にのこったかつおぶしをすくい上げて食べて、汁だけになったものをゆっくりと何度にも分けて少しずつすする。
洗い物をするときにやっぱりやってしまったという気持ちは顔を見せるが、水の音でかき消す。舌が欲していたものも思い出しさえしなければうまく流せたままでいられる。
ぽかぽかする足の指先をベッドに入れると、満足感が安眠を呼ぶ。

とかなんとかさ。
(一応書いておくけれど、これはうまくいったパターンであって、結局ラーメンに流れたり、一度お茶漬けを食べておいてやっぱり食べたくなって更にラーメンを食べたことも、当然、ある。更にいうならそのまま勢いづいちゃってアイスまで食べて目が冴えちゃって眠れなくって、翌日めちゃくちゃ眠気と戦う羽目になったこともある)

でも梅干しで書いた記憶が確かにあるし、梅干しでやってみるか…。

幼い頃わくわくして食べたものといえばアイスクリーム、チョコレート、そして私には梅干しだった。
どれもたくさん食べようとすると怒られるもので、前二つは在庫に限りがあったのに、梅干しときたら当時母が自ら漬けていたものだからシンク下の大きな壺いっぱいに詰められていた。
簡単に五粒くらい食べられたが、健康によくない二粒までにしなさいとはよくよく言い聞かされていたもので、どうにか少ない個数でも満足度を高められないかと幼い私はようく考えた。
まず種をねぶることを覚えた。よく吸うとなんともいえない酸っぱさがちゃんと出てくる。じき種を割って中の実も食べられることに気づいた。こちらはしっかり味があるわけではないけれど、食感が気に入った。
それでもなお満足には程遠い。
一気にかぶりつくのをやめて、小さく小さくかじりつくことにした。そうしてみると厚い皮だけずるりと大きく取れてしまうことが増えうまくいかないと歯噛みしていたが、翻って皮を別途食べればもっと長く楽しめると気づいた。皮をとってちまちまとかじり、実もつるりと取れてしまうことがあるので指ですくって小分けに口にし、最後は種をしゃぶり、割れたらその中の実の食感を楽しんで終える。
こうして小学校一年生ぐらいのころには妖怪シンク下梅干し食べが誕生した。
母はよく見逃してくれていたなと思う。おかげで堪能でき、今は無事汚い食べ方から卒業している。

どうでしょうか。
やっぱ汚いなーって感じですけど、3年後か10年後か25年後ぐらいのハッカ、もうこのブログ記事を書いたことまでひっくるめてすべて忘れ去れましたでしょうか。

静岡県立美術館にて

ちょっと静岡に出ることになったので、一泊することにした。

翌日の三時ごろに帰る切符だけとって他に何も決められたことはなく、気づいたらホテルのベッドでぼんやり動画を見ていた。
これは……行くあてもなく迷うに迷うも焦るだけで何もせず駅の中をうろついて終わる。
自分の興味本位だけで動けるとなると何か人がいるときは提案を躊躇うところにも行けてしまうしそういうところになどと考えだすときりがない。

富士山、臨むか。

それと、素敵げなおしゃれカフェ(gemminy's)の朝食を見つけたのでその開店時間と地図だけチェックして寝た。

 

翌日、私の前にいたのはロダンだった。

ぼんやりしたまま適当にバスに乗り込んだら県立美術館行きなのだった。
秋の空は高くまだ夏の日差しがまだ残る暖かな良い天気だった。
富士山。
もったいないことをした気がすると調べなおしてみるも、移動時間が、なかなか。
企画展示は「絶景を描く -江戸時代の風景表現-」だった。ほかの人の目を通した富士山なら見られる。
そういうこともある。

企画展示は面白かった!
一番面白かったのは…メモしたはずなのになくしてしまった。誰の作かも題も忘れてしまったのだが、解説時点で「いろんな時節に描き残しているが明確な違いがない」みたいなことを言われていて(この「」は私の記憶だよりのものなので実際はぜんぜん違う意図のことが書いてあったかもしれない)、
そう言われるとおり違いが伝わらない絵だった。いや違う。ちゃんと違うんだよ。でも一緒なんだよな。
猫飼いの人の写真フォルダ見たみたいで面白かった。微妙に違う似た角度の同じ猫がずらっと並んでいる感じ。
撮っちゃうんだよな。消せないんだよな。違うんだよな。わかるわかる、という気持ちになった。私は猫飼いではないけれども…
印象的だったのは原在正作のもので、複数飾ってあったがいずれも目を引いた。横長のポストカードとかあったら欲しかった。これのために図録を買った。

で、ロダンである。
常設展示にロダンがあって、それらが集められた別館がある。
本館と別館を繋ぐ廊下にはロダン以外の彫刻作品が飾られていた。人がいなくて、ずらっと並んだ彫刻作品の間を行くのは多少こわかった。。なんだろう、圧迫感なんだろうか。
ジャコメッティだけすぐわかった。以前展示を見たからかもしれないし、どうやっても特徴的なんだろうなとも思う。

ともあれロダンである。
ロダンの作品は見たという記憶がない。見たことあるかもしれないが、見たな〜!という記憶がない。
圧倒だった。
人間の肉ってなんか、もしかして、めちゃくちゃうつくしいかもと思えた。
人の動きに伴う筋肉と脂肪がつくる皺がしなやかな線を形を作っている。すげ〜実在感と、人間、うつくしいかも、という迫力を携えていた。
あとなんか習作とかも飾ってあったけどほんとにデッサンぽいというか、人の脂肪だったところから急に石らしさを覗かせてきたり、そもそも人のラインじたいがゆるりとしていてデッサンだ!?となってびっくりした。うまくいえない。
ばしゃばしゃ撮った。館も凝っているのでなんかどう撮ってもさっくり絵になる。

朝食をとったおしゃれカフェで持ち帰りにしたサンドイッチを外のベンチで食べた。
隣接する芝生公園の歩道沿いにはいい感じのベンチがあって、彫刻作品もあちこちに飾られている。
サンドイッチはすごくおいしかった。途中から虫と鳥との争奪戦になった。勝った。

 

結局微妙に時間を持て余して駅周辺をあてどなくうろうろしたり、駿河屋に長居してみたり、それでも時間がつぶしきれずに駿府城公園に行ったら今度は危うくなって必死に駅まで戻ったりした。

良い一日だった。

2023目標の話:懲りない

そろそろ「決まった時間に繰り返し同じことをする」という目標を掲げる機運が自分の中で高まってきたように思う。

公文式が苦手だった。
決められた時間にやらなければならないという気持ちが強すぎて、少しでも詰まると焦るばかりになり、時間を超過することが許せず、かといって投げ出すこともできず、「できなかった」という気持ちだけが高まった。
合わなかったのだ!

一事が万事そんな調子だったので、時間を決めるとできなくなったときに大騒ぎしてへとへとになるうえ、もともと準備もよろしくないとあってもうできる限り何も決めずにきた。
別に自由があれば何かに取り組むかというとそういうわけでもないので、ただただ何もできないまま今日まできた。
でもですね、何年もかけて少しずつ「決まった時間に毎度同じことに取り組む」という心地よさを刷り込むことができはじめたのではという実感が最近あって、「できるかはわからないけどそのつもりで動いてみる」前提の目標を組めるんじゃないか!
何歳の話? まあまあ。もういい大人ですけれども。ええ。

映画を毎月一回見る日を決める。
ジャーナルRPGをする(時期を決める)。
あ、それとこのブログを始めいくつか個人的に書いたものを発表できる場を持っているけど、この更新日を決める。

このブログは毎月20日更新がいいかな。
このことを決めたのは月初めだった。ところで書いてる日付は31日になる。
良かった、1月に1本の更新があって。
ちなみに既に書いた記事がもうひとつある。待てないので2月になったらきっと即刻上げる。
20日のことは、知らない。

自分という思考と体を抱えて生きていくつもり、ありますか?

2021年度は月ごとにしたことをまとめるということをしたのですが、2022年度はこまめに日記を書こうと決めていました。
でもネタ見つけられないな…。
と思ってたらあったな…となったので書きます。

 
生活するということに対して雑で創意工夫が足りてない。
自分という思考と体を抱えてほんとに生きていくつもり、ありますか?!って問い詰める機会を設けるべきというくらいない。
なので、ひんぱんに時間は足らなくなるし約束は間違うし財布は忘れるしお腹が減ったことにも気づかずに機嫌を悪くするしどこに何があるかわからなくなる。
ほんとに目に見えない程度に改善…成長…などしてる気になって…おりますが……お付き合いくださっている方々からするとおそらく…無……いつもありがとうございます。
 
という、結局どたばたでギリギリなので誰にも伝わらないのだが、たとえば最近の成長は明日着る服を決めてから寝るようになったということ。
コーディネートをキメれているわけではない。たとえ二度寝をかましても迷わず服を着られるようにしているだけ。
でもまだ甘いのよ。
これでいこ! と思ったもののなかに新しく買った服がありまして。朝になって着てみるとどうも自分でまあいっかって看過できないくらい無い取り合わせ……。
時間はギリギリだしこれを着ると決めた気持ちの切り替えも上手ではなく、新しいのを着たい気持ちをそのままに他の服と合わせてみるけどどれも違う気がする。もうわからない。
どたどたと出て行く朝。
 
朝ごはんを食べるタイミングなどなかったのでコンビニでおいしそうに見えた煮卵を買う。
開けるタイミングでつるりと手をのがれて床に落ちる。
腹ペコの頭上をゆっくり通り過ぎて行く朝。
 
ブレイクタイム、心地よい日和にピクニック気分でのんびりと過ごせた昼。
そのまんぞくをどうにか引き伸ばして乗り切った仕事に職場からてろてろ逃げ出し、夜はマッサージの予約なので気持ちよく今日を終えようぞ、その前に百均に寄って必要だけど先延ばしにしてたものを買ってしまって、時間あるから晩御飯を先に入れてしまって…
 
財布忘れた。レジで気づいた。
電車乗った。降りるときに定期無くなってた。
クレカ機能ついてる。止める…か…?
ええええ何度目?! それ! もういやだ! 初犯じゃない。
自分という思考と体を抱えて生きていくつもり、ほんとにありますか?
 
即拾ってくれた人がいたみたいで、その人の降車駅で届け出てくれていた。
このご恩は忘れません。誰かに必ず親切にします。
 
けっこう遠い。でも明日に回してもいいことない。今日だ。今日取りに行くぞ。
焦る手が券売機を操作する。目的のきっぷを買う。
「領収書を発行します」
大変いらないので、額に入れて部屋の目立つところに飾っています。

 

よっこいしょって無意識に声出して動き出せるようになったなあ(いつのまにか)

よっこいしょってしても立ち上がるのが大変だったときの話 のつづき。
これ書いてからもう四年経つんだなあ。

この一年ぐらい、あっ回復したんだ! と思うことが増えた。

いやいや、復職して一年ぐらい経ったときにはも〜大丈夫だな〜と思っていたんですよ。
でも、今振り返ると違ったなあとしみじみするようになった次第。

ひとつおっきかったんだな〜と思えることがありまして。
もうゲーセンでカード排出するタイプのゲームする想像が怖くない。

立ち上がれなくなる前に、その手のタイプのゲームがしにくくなっちゃっていた。
「誰かに見られてるかも、見られていたらどうしよう」という、どうもしなくていいだろ…ということが巨大な不安と一緒にやってきて落ち着かない、といった具合。
その気持ちになるのやだな〜ってので筐体の前に立てなかったり、割合すぐ済むカードの購入だけ泣きそうになりながらやるとか、なんかそんな。そんなそんな。

復職後も長らくそれは続いていて、人とそういったゲーム一緒にやりにいこ! ってなっても、「もう離れようよ」という気持ちでいっぱいだった。
おかげで一つ推しコンテンツをほぼ楽しめないままサービス終了になってしまって、ちくしょー!! って気持ちでいっぱい! ちくしょー! あー!
今はもうそういった類のゲームをしたいという興味そのものが薄いので訪れることもないのですが、想像しても何も苦しくなかった。不安にもならない。
実際目の前にしたらちょっと湧き上がるのかもしれないですけども、前は行くという想像からもうやだな〜って感じだったので。

あとほんっとうに当たり散らしやすくなっていて、「がんばろ」って言われるたびに「やだ〜!!!!!!」って抵抗がすごくて。
「がんばろ」って言ったほうは「どっこいしょ」くらいのことなんですよ。「やるぞー、おー!」みたいな掛け声程度の。
そうわかってるんですが、本当に本当に本当に本当に嫌で、嫌で嫌で。「なんでそういうこというの?」というヒステリックな声をあげるという。
「なんで」もなにもないよな。「おー!」ってだけなので。関わっていてくれる人全てに感謝ですよ。
今「がんばろ」って言われたら……うーんまー別に「よっしがんばるぞ〜!」とはあんまならないですが、当たり散らすほどのことは私の中のどこにもないです。
あと独り言! 減った! 嬉し〜!!
あっでもあんまり自分の好きなものを手放しでいいよっていうのはまだ怖がって避けてしまう。それはもともとかもしれない。できるようになりたい。

復職できてしばらくして、あっこれもうできるんだということがたくさん分かって、
それは定時に仕事場に行けるとか言われたことがこなせるとか、友人と会っても翌日寝込んだりしないとか、人と約束ができるとか。
でも振り返るともっと自由にできることあったんだな〜という気がします。

まだまだそもそも元からできないこともあるからな!
できるようになっていこうな! いぇ〜い!

久々のカリブの海賊が最高だった話

久々のカリブの海賊に乗ったらすごい感動した。
も〜それだけの話です!

そもそも久々のインでどのアトラクションも同じだけ乗ってなかったのですが、
カリブの海賊が群を抜いて新鮮に映って心に響いたのでメモよ。

午前中の明るいうちに乗ったこともあってか、乗ってすぐのレストランのあたりなんてもうまっくら。
木の影形さえはっきり捉えきれずに、蛍の灯りだけはっきりわかる。
よく見えないから目をくらして、こんなに見えなかったっけと驚きながら集中する。
ぼうっと突如くっきりと照らし出されたしゃべる骸骨が現れて、さらなる深みへと飲み込まれる。

改めて体験するとこの洞窟の部分めちゃくちゃ長いなって。すごい潤沢。前振りが丁寧。
静かだけど胸騒ぎのさせるシーンが重ねられる。そこにあるのはぶいぶい言わせてた頃のまま固まってかたどるだけの骸骨たち。
嵐の夜、浴びる酒、泳げるほどの財宝といった騒乱の背景に物言わぬ登場人物たち。

今一度の警告を受けるとまったくの霧に包まれて(ほんっとに量が多かった、こんなに多かったっけ?)、
ぼんやりと浮かび上がる大きな船! 誰かが何かを話しているけれどそれより耳に飛び込むのは砲撃の音……こちらへ向けて火を吹いている!

もうここでため息ため息でした。うっとり。贅沢な没入感の高め方に最高の静けさの裂き方。

海賊たちが上陸した地へ乗り込むと、暴力、暴力、へべれけの男たち、暴力。
万能感にのぼせあがっている海賊たちの表情はふつうに出力されうる人の表情より一段ギアが違っていて、こちらまでハイになりそう。
すべてが根こそぎ奪われていきながら、炎と陽気な歌が狂乱を撒いて彼ら自信の破滅さえ飲み込んでいく。

船が進むごとにただその情景にとっぷり浸かってしまった。楽しかった。すごいなあ。すごいなあ。
ものすごい没入感でした。全てのシーンが新鮮ですごい情報量で。あ〜〜楽しかったなあ。

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