2011年06月の記事

シンデレラ城感想(ついったーログなど)

(2011/6/7 初まとめ)
(2012/7/10 ちょっと手を加える)

★まずいいわけ

ちょっとシンデレラ城への感想がまとまらずにいたのですが、まとまらないので、そのままたれ流してみようと思います。今から多大な妄想をしますが、整合性とかちょっと。といういいわけから。

★シンデレラ城がミステリーツアーだったころ

シンデレラ城がミステリーツアーだったころ、それは棺ではないかと考えていました。
悪に対する墓標が、つまり怨霊をまつっている社がシンデレラ城ではないかと。

またはこうも考えました。光のぶん陰があります。
日光により世界は光を得て、私たちは影を落とします。
その逆というか、ランドの中心たるところに陰があることで、ほかのそれぞれが自ら輝くのではと。

こうも考えました。ミステリーツアーは儀式ではと。
これは日本的ですが、停滞すると良い神もまた悪くなるのです。
そして悪いとされる神様も「きた」以上はお祭りなんかをして「流していく」文化があります。
ミステリーツアーは悪を人の手で葬って、というのは、「あちら」へ流れてもらって…ということなのかも、と思ったのです。
もう一度たずねれば、またそこに彼らはいる。お祭り、また流す。
儀式そのものというより、そういう手順を踏むことで儀式のデモンストレーションに近いかもしれません。

★奉られたシンデレラ

そんな場所が、ついに悪の居所でなくなってしまい、そこにはシンデレラが奉られました。
私が想像していたより、ずうっとミニマムな世界でした。
シンデレラが「あちら」と「こちら」をつなぐにいたった道のりが、あらゆる美術品でもって私たちに希求してきます。
「つなぐもの」が中心にまつられるようになったのです。

これが…というところでどっちらけてるんですけど。課程がなさすぎるから結論に至れない。

★「悪」たちはどこへ?

あと、そんで、あの「悪」たちはどこへいったんでしょう?というのももぐもぐ考えてます妄想でっす

悪は、影は、私たち自身なのかもしれません。
私たちの中の不定なもの、不浄なもの。悪意、嫉妬、負の感情。
シンデレラの物語に触れながら、私たちもまたその道をたどる。
浄化されていくのかもしれません。
そうしてアトラクションから出てきたとき、さんぜんと輝くシンデレラ城は、私たちをゆっくり陰りへと返してくれるのです。

余談。

新しくなったシンデレラ城を訪れてエレベーターをあがったとき、やばい、正装でこなくてよかったのかな…と一瞬本気で心配しましたw 

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