書いたものに向き合ってみる
- 2023/02/19
- 雑多
なんやかやと文章をネットに流してきたものの、うまいぐあいに忘れてこれているものだからさほど昔書いたものに苦しめられていないでいる。
けど、学生時代の何かの課題で書いた文章は三年に一度ぐらい思い出してなんであんな文章を提出したんだ、ゔんんんー!って頭を抱えてしまう作が一つある。
もう手元にはない(あったとしても絶対に読み返さない)できあがりの記憶からたどるに、「好きな食べ物の好きな食べ方」みたいなお題で、600字程度という指定だったように思う。
当時、選んだ題材は梅干し。小さい頃から大好きで、まず梅干しの皮だけめくって食べ、それから実を少しずつ指にとって食べ、そのあと種をあめだまのようにしゃぶって、最後には割って種の中の実まで食べていた。
そのただでさえ汚らしい食べ方を、ねちねちと描写した。と思う。
今ならそもそも違う食べ物を選ぶ。
お茶漬けとか良さそう。
夜、あとは寝るだけ、もうベッドに潜り込む、そこで急激に空腹を感じるときのひもじさは凄まじい。
眠気もあるのだからと一度体を横たえてももはや痛烈な寂しさにも似た空腹がいっそう主張してくるみたいで、胃がよだれを垂らしているようだし、涙だとさえ感じる。
そういうときに限って舌はラーメンとか欲している。
食べたあとに残る、やってしまったという気持ち、胃もたれみたいな重みがあるあれ、あれはごめんだ。
食べる、食べる、食べますよ。
でもつまんだくらいの冷やご飯に、かつおぶし、だしの素、うめぼしを一緒のお椀に入れて、沸きたてのお湯でお茶を出す、一気にそそぐ。多めに注いで、ひとくち、ふたくち、あったかさに息をついてから、スプーンで冷やごはんと梅干しをほぐす。
またすする。先程より塩味が増えていて、胃がきゅうっとなる。そこへかつおぶしとご飯をよく噛んで飲み込む。こめかみのあたりからなんとも言えない安堵感があふれる。
またすすっては噛み、すすっては噛む。
少なくなってきたら下の方にのこったかつおぶしをすくい上げて食べて、汁だけになったものをゆっくりと何度にも分けて少しずつすする。
洗い物をするときにやっぱりやってしまったという気持ちは顔を見せるが、水の音でかき消す。舌が欲していたものも思い出しさえしなければうまく流せたままでいられる。
ぽかぽかする足の指先をベッドに入れると、満足感が安眠を呼ぶ。
とかなんとかさ。
(一応書いておくけれど、これはうまくいったパターンであって、結局ラーメンに流れたり、一度お茶漬けを食べておいてやっぱり食べたくなって更にラーメンを食べたことも、当然、ある。更にいうならそのまま勢いづいちゃってアイスまで食べて目が冴えちゃって眠れなくって、翌日めちゃくちゃ眠気と戦う羽目になったこともある)
でも梅干しで書いた記憶が確かにあるし、梅干しでやってみるか…。
幼い頃わくわくして食べたものといえばアイスクリーム、チョコレート、そして私には梅干しだった。
どれもたくさん食べようとすると怒られるもので、前二つは在庫に限りがあったのに、梅干しときたら当時母が自ら漬けていたものだからシンク下の大きな壺いっぱいに詰められていた。
簡単に五粒くらい食べられたが、健康によくない二粒までにしなさいとはよくよく言い聞かされていたもので、どうにか少ない個数でも満足度を高められないかと幼い私はようく考えた。
まず種をねぶることを覚えた。よく吸うとなんともいえない酸っぱさがちゃんと出てくる。じき種を割って中の実も食べられることに気づいた。こちらはしっかり味があるわけではないけれど、食感が気に入った。
それでもなお満足には程遠い。
一気にかぶりつくのをやめて、小さく小さくかじりつくことにした。そうしてみると厚い皮だけずるりと大きく取れてしまうことが増えうまくいかないと歯噛みしていたが、翻って皮を別途食べればもっと長く楽しめると気づいた。皮をとってちまちまとかじり、実もつるりと取れてしまうことがあるので指ですくって小分けに口にし、最後は種をしゃぶり、割れたらその中の実の食感を楽しんで終える。
こうして小学校一年生ぐらいのころには妖怪シンク下梅干し食べが誕生した。
母はよく見逃してくれていたなと思う。おかげで堪能でき、今は無事汚い食べ方から卒業している。
どうでしょうか。
やっぱ汚いなーって感じですけど、3年後か10年後か25年後ぐらいのハッカ、もうこのブログ記事を書いたことまでひっくるめてすべて忘れ去れましたでしょうか。