藍色飯店をたずねたこと
イマーシブ・シアターの存在は「Sleep No More(McKittrick Hotel Sleep No More)」でおそまきながら知っていて、USJの「ホテル・アルバート」は2も存分に楽しませてもらったけれど、日本でやっているとは……全然情報を仕入れていなかったところにツイッター上で目に飛び込んできたのが「藍色飯店(藍色飯店|泊まれる演劇 (aiirohanten.com))」の紹介記事(ホテルは物語の入り口。「泊まれる演劇」が生み出す1泊2日の体感ドラマ(harumari TOKYO))だった(2021年3月末まで常設しているVenus of TOKYO(Venus of TOKYO (venus-of-tokyo.com))のことすら知らなかった)。
「泊まれる演劇」公式サイト(泊まれる演劇|公式サイト (tomareruengeki.com))を見てみると「藍色飯店」でもう八つめの演目らしく、関西圏でやっていたんじゃん! オンラインっていう挑戦もあったんじゃん! 情報はとっていかないといけないなと気持ちを新たにした。元から感度が高いほうではないけれど、最近かなりさぼっている自覚がある。
きっと東京だよね? いや、関西だ。行けるじゃん。もう始まってる。じゃあ予約取れないかな。日程空いてる。私の予定も合わせられる。
公式サイトを見てもTwitter上の感想をちらっと見てみても、おそらく「体験してこそ」であるがために物語の設定も説明もふわっとしていて判断がつきにくい。もしかしたら物語は判ったうえで趣味ではないかもしれない。乗っていけないかも。そもそも分からないかも。でもこんな今行けるってなること、ある?
そうそうあるわけないもんな!
Twitter上で見る中華な雰囲気にあう気がするお洋服を引っ張り出して、一人だから勇気が持てるお守りみたいなものを入れて、自分の生活のあれそれがつつがなくいくようにこれも、それも、あと予約のメールにフラグを立てておいていざってときに、きっとこれで大丈夫……
でもめちゃくちゃ緊張する!
公式からの注意文が出たこともあって、開始直前ずっと友人に「あまり期待しすぎたくない」と「めちゃくちゃ楽しみ」を交互に送信していた。チェックインに並ぶと二人連れの方が先に案内されている。私はソロだし年齢層もあわなさそう、そわそわしちゃう。
度は道連れ世は情けとは申しますが、ほんとそう。
待ち時間に滞在が初めてじゃないという方とお話できて、とてもよくしていただいて、とにかく飛び込んでみれば大丈夫と太鼓判を押されて緊張もほぐれ、いざと飛び込んでみたら、心配はすべて杞憂でした。
プレショーみたいなものがあるのですが、そこでどういうふうに見て回ればいいかもわかる。「藍色飯店」では、個々人が部屋を自由に訪ね歩くような形でした。(公式サイトや紹介記事で触れられてないので白抜きにします)
他の人と一緒になるのも、一人きりで役者さんと対峙するのも、どちらも広がりがあって面白い。どのシーンもそのときの来訪者だけの記憶となる。
参加している他の方たちもみんな優しくて、またお会いしましたね、どうも、いかがでした? くらいの感じもあって(私がそんな気になっていただけかもしれないけれど)。とはいえ一方、私が演者さんをはじめ運営さんのご迷惑になってたり、他の参加者さんの体験を阻害してませんように。もちろん気をつけているけど、とはいえあとからこういうのは不安になってくる……。とにかく夢中でした。
舞台美術がいい。開けるたびに世界が展開されている。
役者がすごい。「そのものそのまま」で居る感じがあって、しかもこちらの受け答えをうまく調理しきる。
演出と脚本がホテルで演劇を行う/舞台とシームレスな場所に滞在させるということをフル活用している。
事前に思っていたアートに近い感じもありうるな…というのも明後日の想像で、要所要所の山場がしっかりありました。
フルコンプ的な意味で全部楽しめたかというと、あれもそれも取りこぼしたよ、という回答になりますが、コンテンツの全てを楽しめたかというと、まるっと全部楽しめたよ、という回答になります。一つ一つ楽しむことができたよではなく、一連の全てとして楽しかったよ、と。
終わったあと、ロビーで参加者の方々がお話されているところに混ぜてもらったのですが、「そんなシーンあったんだ~」はもちろんのこと、みなさんの体験/旅を聞けるということが、同じ時間にありながら別の時間、別の空間であって、時折同じシーンを共有していて交叉して、という体験そのもので今回の公演の内容を思うと味わい深……とじんわりにやにやする思いでした。
そうそう、チェックインして割とすぐそのまま旅は始まるので、あまり自室に馴染むタイミングはないんです。(もちろん、何度も宿泊に来たことがあれば別でしょうけれど)
すると、何よりも先に舞台としての部屋に慣れるので、自室に帰ってもそれが舞台の装置のままであるようにすら感じられました。
すると、何よりも先に舞台としての部屋に慣れるので、自室に帰ってもそれが舞台の装置のままであるようにすら感じられました。
廊下からは思いを馳せるのにちょうど良い音楽がうっすらとだけ聞こえてきて、寝しなまで没入感が担保されているのは設定との噛み合わせも含めて「泊まれる」ということへの期待値をきっちりとおさえてくるなと感じ入りました。
書いていてあのシーンこのシーン……と思いを馳せていたのですが、印象的なシーンですらあそこは誰と誰にあったっけ? どんなことを話していたっけ……と貧弱な記憶が存分に発揮されていて、めちゃくちゃ悔しくていつもなら血涙なんですけど、どこかですとんと納得している自分もいました。私の時はまたもう動き出してしまったので。物語の設定に説得されるというか、そぐったこととみなせると悔しさ少しは減るんだなって。
あとはご飯について。
アルコールドリンクにノンアル版がすべてあるのはものすごく嬉しかったです。最高。
ご飯はどれも美味しかったですが、特に私は朝食が格別で。朝から良いひとときが過ごせました。
"How they dance in the courtyard,
Sweet summer sweat
Some dance to remember,
Some dance to forget"
Sweet summer sweat
Some dance to remember,
Some dance to forget"
(Hotel California)
以下は楽しかった体験そのものとは別の話、すすめにくかったなっていう振り返りメモです。
今回の公演の紹介記事を三つ四つ見てみましたが、どれもどんなふうに見ていくのかには記載がありませんでした。
私がとんと疎いものだからこんなことを思うのだろうなぁとか、こういう種類の舞台はそんなものなのかなぁとか、そもそも演目の特性上「知らずに飛び込んでみて欲しい」ということかなとは思うのですが、こう、判断しにくかったし薦めにくかった。
今回はお話が特に「ミステリっぽいんだな」とか「恋愛ものっぽいんだな」というのもなかったので余計にだったのかもしれません。つまるところ、「何かよくわからないけど行ってみようよ」としか言えなくてもどかしかった。「わからなさすぎて不安だからいいや」と言われてなんとも返せませんでした。新しいことを新しいままに楽しんで欲しい気持ちと、想像のつかなさからの…なんだろう、すれ違いがあるなあと。
少なくともプレショーに相当する、物語へ誘うにあたってのこうしてね、というようなことに関して(自分の好きなタイミング、好きな順番で部屋を巡るであるとか、各部屋には人数制限が設けられているとか、途中入室もありだとか)は、「事前に知ることができる」という選択肢があってほしかったように思います。見落としてたのかなあ…。どっか書いてあったかもしれない。
また、「終演後、各部屋の写真も撮れます」という案内がありましたが、それが何時までなのかは告げられず、逃してしまったのも悔しかったなー。それはそれで素敵な体験だったので、今回の設定もあいまってめちゃくちゃよかったじゃん、とも思っているのですが。