ただいま

とにかく風が強いのだ、向かん気ばかりの小僧のように、まったくわたしの頭は軽くて宙に浮くばかりだ、しかし足は次の一歩一歩を持っているので、あるいは首からのびていっているのかもしれないのだが、とにかくそんなふうにして、さらさらと前には進みにくい。
小さな光が下から当てられているさまは夜も深くさぞかしおそろしげだろう、そんなふうにも思いをはせてみるけれどもいかんせんここがどこなのかすぐにわからなくなるためやはりどこかしら浮き足だっている、それは軽い頭からもたらされているのだ、まさか心などというものがあるわけにもいかない。
浮き足はこの地を踏まないのならわたしはいったいどこにいるのか、なぞ、言葉遊びにしかならず目的地の消える理由には満ちないわけだが、すこしぐらいそうしてすぐそこの異和観を覚えておくくらいは、たといどこにいようともあってしかるべきなのではとさえ考える、なぜって、なぜかはさきほどまでここにあったのだが、もう頭のてっぺんから抜け出てしまった、たぶん、そういうことがらから必要とされている能力なのだ、抜けていってしまうような掴ませない存在することがらから。
たとえばだれも生きてなかったとしてもなんら驚くことはない、わたしはわたしが生きていることが判らない、わたしに証明を渡せないでいるわたしがわたし以外たる誰かの証明もできずにいる、ので、とかく何かしらがいやもうなにもかもが生きているという実感があればあるほどそちらのほうがよほど狂おしい、愛おしさかもしれない。
もちろん返事はどこからもこない。わたしは階段をのぼって扉を閉めた。

 

(2012/05/23 (Wed))

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